崎陽軒のネーミングの由来


崎陽軒
 

“日が昇る岬”

 

「崎陽」は江戸時代の長崎の呼称。藩の名前は肥前ですが、海から長崎に渡ってくるとちょうど長崎の方から朝日が昇るから、“日が昇る岬”という意味で「崎陽」と呼ばれていました。
 
実際に今も長崎には「崎陽」を使ったお店とか団体が沢山あります。
 
崎陽軒は横浜名物なのにどうして長崎に関係してるかというと、創業者の久保久行が長崎出身だから。でもご本人によるネーミングではないのです。
 
久保は日露戦争の頃、横浜駅長を努めていました。そして退職後は、無収入の苦しい生活をしていて、それを見かねた知人の高橋善一(後の東京駅長)が収入を得る手段として、横浜駅に売店を出店することを勧めてくれました。
 
しかも単に勧めてくれただけではなく、大阪駅に構内営業権を持つ「水了軒」の松塚孫三郎と掛け合ってくれたり、国鉄と出店許可交渉も行ってくれました。そうして1908年に崎陽軒は創業します。
 
ネーミングは高橋と松塚の合作とのこと。お二人は久保の前途を祝すために、久保の出身地にあやかった幸先の良い名前として「崎陽」を選んだのです。
 
 
参考:崎陽軒HP

 
 

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